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明治25年創業、地元に根ざしたファーマシー
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歴史


創業者 江口 儀八(ぎはち)

当時、佐賀県の田手宿で蝋屋(ろうそくや)をしていた江口家の長男として生まれる、家督を弟に譲り、明治25年自らは独立し江口薬舗を開業する傍ら養蚕を営む。
これが現在のエイト薬局の始まりであり、エイト薬局の屋号も儀八の八より取ったものである。
大変仕事熱心な人物で、当時を知る人たちは夜も寝ないようにして働いていたと言う。
先見の明が有る人で、稼いだお金で近隣の田畑を買い、地主としてそれなりの業績を上げた。
儀八の特に優れた所は、子供の教育に熱心で明治という古い時代に、しかも佐賀の田手宿という典型的な田舎町から、男の子供はそれぞれ現在の東京大学、早稲田大学、熊本大学へ進学させ、長男の虎三郎と三男の熊四郎を薬剤師にさせた。
又、次男の伊四郎は当時の三田川町(現吉野ヶ里町)の町長を長年務める等当時としては珍しく、子供の教育に大変熱心であった。



二代目 江口 虎三郎(とらさぶろう)(明治29年~昭和62年)

 江口儀八の長男として生まれ、東京大学薬学専門学校(現在の東京大学薬学部)を卒業後、ドイツに留学。
昭和17年3月~昭和19年3月第7代長崎医科大学付属薬学専門部主事。
昭和19年4月~昭和22年3月初代長崎医科大学付属薬学専門部部長を務めた。
長崎医科大学付属薬学専門部主事時代の、昭和20年8月9日、午前11時2分長崎医科大学から至近距離にある長崎市松山上空に投下された原子爆弾によって、薬学専門部は医科大学と共に一瞬にして焦土と化し校舎・図書・実験器材などすべてを失った。
医科大学の殉難者は角尾学長以下教職員学生850名余にもなった、薬学専門部では防空壕の補強作業中の清木美徳教授が被爆負傷し、杉浦孝教授は薬草園で被爆即死、山下次郎教授は附属病院入院中に被爆死亡した。
在籍の生徒数は201名であったが、その内の1・2年生152名は工場へ動員中で難を逃れることができた。
不幸にも、在校中の3年生は防空壕作業中に24名・残留していた2年生9名・図書整理中の1年生5名・事務関係者6名の計46名が被爆死亡した混乱を極めた原爆直後の薬学専門部の復興は筆舌に尽くし難いものがあった。
当時、出張中で難を逃れた虎三郎であったがこの原子爆弾により長崎医科大学付属附属医学専門部に在籍中の長男宏を亡くした。
その後虎三郎は灰燼と化した長崎校舎での専門部の生徒収容は困難であると判断し、昭和20年,佐賀市多布施町の元日東航機工業青年学校校舎跡に疎開して講義を再開した。
次いで昭和22年には,諫早市小野島村の元長崎地方航空機搭乗員養成所跡に移転、ここでの、200名に近い生徒の生活は食糧事情が悪い上に校舎の設備や資材が極端に不足した状態であり、又、この頃新学制が発令され専門学校が、将来新制大学に昇格することになり、文部省による資格審査が始まるとともに長崎医科大学附属医学専門学校が廃校となった。
原爆により丸裸となった薬学専門部では、医科大学附属という不利な立場や長崎から離れた不便な場所であるなどを考慮して、小野島での復興をあきらめ、たまたま九州大学医学部に薬学科創設の企画があったことをうけて、一番ヶ瀬尚部長代理を中心に専門部あげて九州大学との併合を目指した。
一方,長崎医科大学は附属薬学専門学校の引き留めを決議するとともに、県当局も動かし長崎に存置するように運動を展開した。
以後、文部省、九州大学、長崎医科大学、長崎県を巻き込んでの度重なる審議、薬学専門部への医科大学および県当局の対応の大幅な改善と備品・設備の急設援助、など幾多の紆余屈折を経て昭和23年8月18日、文部省の第3回査察により薬学専門部として存続することが決まった。
その後、実家の江口薬局へ戻り佐賀県薬剤師会会長を昭和23年9月~昭和40年3月の間務める等、大きく薬事行政に貢献し昭和46年11月3日勲3等瑞寶章を叙勲した。
昭和30年に三代目皞に家督を譲り、自らは昭和39年8月~昭和42年7月まで第一薬科大学の第2代学長を勤めた、囲碁と菊を愛し昭和62年2月90歳で永眠。



三代目 江口 (あきら)(昭和7年11月~)

 江口虎三郎の8人兄弟の5番目二男として生まれ、長崎大学薬学部を昭和30年に卒業後、江口薬局に戻り虎三郎の後を継ぐ。
 昭和31年に日本薬局協励会に入会、現在の(有)エイト薬局へと続く礎を築いた。
 昭和39年に最初の支店、江口薬局鳥栖店を佐賀県鳥栖市に出店した、昭和54年10月には神埼町田道ヶ里にエイト調剤薬局を出店これが現在の(有)エイト薬局の母体となる、
(有)エイト薬局のエイトは創業者の江口儀八の八を一字貰ったものである。
 平成4年12月に諸般の事情により江口薬局鳥栖店を閉店、その後平成7年3月に長男浩郎経営のくすりのエイトと合併、この時(有)エイト薬局が誕生する。
この時にエイト調剤薬局をエイト薬局神埼店、くすりのエイトをエイト薬局目達原店と改名、同時に神埼町城原にエイト薬局えぞえ店を出店、このエイト薬局えぞえ店はその後母体のショピングセンターがダイレックスに買収された為、平成16年7月にエイト薬局日の隈店と店名を変更した、平成10年9月に現在のみやき町寄人にエイト薬局三根店を出店する、その後平成13年7月に本店の江口薬局を閉店し自宅兼本部とし、ここに江口薬局は明治25年以来100余りの歴史に幕を下ろした。
現在は本部(有)エイト薬局を佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手におき、エイト薬局目達原店・エイト薬局神埼店・エイト薬局日の隈店・エイト薬局三根店の4軒となっている。
 又、皞は、佐賀県薬剤師会会長を平成5年4月~平成15年3月迄の10年間務め佐賀県の薬事行政にも大きく貢献した業績を認められ平成16年11月3日、旭日双光章を叙勲した。
水戸黄門と麻雀・囲碁をこよなく愛し、人生のモットーは「明るく・楽しく」である。




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